憂鬱魔女と恋する青年
人は、真実を告げた口で偽りを語り、愛を囁いたその裏で呪詛を吐く。
本音と建前を使い分けることこそが、円滑な生活を送る術だった。
――そんな人間を、彼女が信じられないのも無理はなかった。
人々は言ったという。彼女は神が遣わせた奇跡の代行者だと。
人々はその裏で言ったのだ。彼女は得体のしれない術を使う悪魔だと。
僕は彼女が大好きだ。
もしも腹を切り裂いてこの思いが真実だとわかってもらえるならば、僕は喜んでそうしよう。
彼女がこの思いを信じられないのだというのならば、信じてもらえるまで僕は幾度でも愛を告げよう。
言葉を疑われるならば、信じてもらえるまで、行動で示すしかないのだから。
* * *
それは遥か遥か昔、もう記録にすら残らない昔の話だった。語り手たちの間に伝わる、メロディのない物語があった。
当時世界は相次ぐ戦争と度重なる天災により、大地は荒廃し人々は病や飢えに苦しみ、
誰もが明日を夢見ることが出来ない、そんな時代だったと伝えられている。
歴史が変わったのは、一人の女が現れてからだった。
女は祈ることで奇跡を呼び起こした。
それは死者を蘇らせることこそ出来なかったものの、病に苦しむ人からその気を追い出し、怪我は触れさえすればすぐに治癒した。
荒れ果てた大地すらも、女が願えば緑が芽吹く。
古のお伽話を具現化したような彼女のことを、人々は奇跡の代行者と呼んだ。
やがて戦争を続けられなくなった国々は休戦協定を結び、世界は一時の平和を取り戻した。
それと同時に、歴史の表舞台から女の姿とその名前は消え去ったのだった。
森の側を通り過ぎた時の危ないから近寄ってはいけないという警告はもはや頭になく、
その森に潜む危険性もなにも考えずにアデルはちょっとした好奇心で足を踏み入れた。
ほんの少し見て周り、おみやげを家族に持って帰る……そのはずのアデルは、そうして見事に帰り道を見失い、ひとり薄暗い森の中を彷徨った。
家族の名を呼ぶ声は既に枯れ果てて、木に寄りかかるようにして歩き疲れたアデルは座り込んだのだ。
木々の合間から見える空が濃紺に染まりつつ或る中、このまま誰にも見つけてもらえないのだと、悪い考えばかりが浮かぶ。
昼間は木漏れ日が差し込んで明るかった森は今や闇に包まれていて、アデルは心細さに目元を拭う。
どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえて、いっそうアデルは怯え膝を抱える手に力を込めた。
また、どこかで狼の声がした。
風が吹き抜けそばの茂みが揺れ音を立てる度、アデルはびくりと肩を震わせる。
(もうやだ、帰りたいよ……)
声にならない声で呟いて、アデルはぐすっと鼻をすすった。
「誰かいないの!」
ありったけの勇気を振り絞って叫んだ声は、闇の中に吸い込まれるように消えていく。
待てど待てど返答はなく、本当にひとりぼっちなのだと理解して、また、アデルは涙を拭った。
気のせいか、遠吠えがまた近くなった気がして、食べられてしまうだろうかと、考えた。その時だ、彼女が現れたのは。
「君がアデル君?」
腰ほどまでの長い金髪には葉っぱが絡みつき、白いワンピースはあちこち泥だらけの若い女性。深い蒼色の瞳は心配そうにアデルを映していた。