... たとえば、その隣に。*サンプル ...
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たとえば、その隣に。


それは雨が降り続き、上流の村から警告がやってきた次の日のことだった。
魔法と呼ばれる術を扱うことができるラズは若い村人数人で、村と村をつなぐ道の様子を見にやってきたのだった――。
不器用な魔法使いとひとりぼっちの少年のお話。



 不意に先行させていた精霊が警告を発してくる。
 周囲を哨戒することを短く命じ、杖を握る手に力を込め油断なく周囲を伺いながら歩を進めた。
 鉄の錆びたような、あるいはどこか甘ったるい臭い。風に乗るそれが濃くなったと思った刹那、目をそむけたくなる光景が広がった。
 横倒しになった馬車はめちゃくちゃで、半ばまで土砂に埋まっていた。 周囲には荷物が散らばり赤く染まった大地には獣の足跡がいくつも見受けられる。加えて無残な馬の死体。 外れかけた扉から投げ出された白い腕はだらりと下がっていて。
(連れて来なくてよかったかもな……)
 残してきた若者たちを思い浮かべ、ラズは慣れた動作で祈りの印を切った。
 人のものであれば生きているのがおかしいほどの赤に目眩を感じながら、そっと馬車に近づいた。
 扉の中を覗き込むと無言で外套を脱ぎ入口を覆った。
「魔獣、か……?」
 周囲をうろついているかもしれない、そんな脅威にどうするか、精霊に指示を出しながら思考を巡らせる。

 それは奇跡だったのだろう。微かな呻き声が聞こえたのは。
 使役していた精霊たちが騒ぎ始め、馬車を挟んだ丁度反対側を指し示し、慌てて駆け寄れば土砂と馬車に埋まった男がいた。
「大丈夫か」
 とっさに脳裏に描くのは幾重にも円が重なった構図。一番内側の円には正十字が描かれる。円と円の隙間を埋め尽くすのは、神々が遺した力ある文字だ。
 一瞬のうちにその紋様を思い浮かべたラズは、男に手をかざし、淡く薄青の光で寸分たがわず文様を――魔法陣を再現して見せる。
「それは我が希望、我が望み、我が願い、我が祈り」
 杖は既に投げ出され、濡れた地面汚れるのも構わず膝をつく。慣れた口上が流れるように紡がれて、 「Laz=Lute=Rasteria――この名におい」
「無駄だ」
 想像以上の強さで手首を掴まれて詠唱が中断させられた。光の紋様もすぐに大気に溶け消えた。
 何をするんだと動揺するラズに、男は雑音混じりに告げた。
「その木陰の先、隠蔽の魔法をかけたその中にいる子を、助けてくれ」
 震える指先で指し示されたその場所は木の影で、薄目でみれば空間が確かに揺らいで見えた。
 男は言った。
「私は、吸血鬼なのだよ……」  今に燃え尽きそうな命のはずなのに、男は力強くそう口にした。


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掲載日:11/10/17
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