... 星空 ...
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 その幼い女の子は、雨が降りしきる窓の外に碧眼を向けては深く深く溜息を吐いていた。

 仕事だと言って外に出ていた養い親が帰ってきた時、その腕には灰色の布に包まれた何かが抱かれていた。
「家族が増える」
「はぁ!?」
 短くそれだけを告げた男は、呆然とするリーンの前を通り過ぎ、ソファに抱いていた何かをそうっと横たえた。 慌てて駆け寄り腕の隙間からのぞけば、ぴくりともせず眠る子供がみえた。
 気になるのかと養い親が場所を譲れば、はっきりとその子供が見えた。
 子供はまだ五歳かそれくらいの年頃の、太陽のように輝く金髪の女の子だった。 肌は不健康なほどに青白く、額に巻かれた真新しい包帯には血の滲み酷く痛々しかった。
「いろいろ事情があってな、落ち着くまで当分エルはここの住人だ」
 よかったなお兄ちゃん、とにやにやと布に隠されていない方の目を細め意地悪く言う親に、リーンは舌打ちで返した。
「で、今度はどういう理由だよ」
「ガキに話すようなことじゃないさ。彼女はエル。今で五歳だったかな、言葉が話せない」
「子供扱い……じゃなくって、話せないって病気か?」
 青白い顔色のまま眠り続ける子供に視線を向け問えば、視界の隅で男が首を振るのが見えた。 その動作にあわせて青みがかった銀髪がさらさらと肩を流れ、背まであるそれを鬱陶しそうに払いのけ男は続けた。
「精神的なものだろうというのが、医師の見立てだ。俺は専門家じゃないから詳しくはわからないが……。 どんな事情であれ、少なくとも状況が落ち着くまで彼女は俺たちの一員だ」

 そう告げられ、少女との共同生活が始まったのはつい三日前だった。
 あの後――。丸一日少女は眠り続け目覚めたのは翌日の夜遅くだった。
 養い親はいつかのリーンにそうしたように今置かれている状況と当面の間家族として迎えることを伝えた。 言葉を失った少女は、泣くでも戸惑でもなく、ただ無表情のままで男の話を聞いていたのだった。
 エルは感情の表現がほとんどなかった。ただひたすらに笑顔を浮かべるか、無表情でいるか。そのどちらかだった。
 なんの感情も浮かべていないとき、よく溜息を吐いた。
 そして、今もまた溜息をひとつ吐き出していた。
 天気が悪くてがっかりする。そんな理由ならまだわかる。 けれど理由もなく自分より幼い子が溜息を吐くその状況がひどく落ち着かない。
 もとより、ひとりで過ごす事のほうが圧倒的に多かったリーンにとって、他人と関わることは苦手なことのひとつだった。 今でこそ村を歩いて挨拶されれば普通に返せるようになったけれど、当初はどう反応して良いのかわからず、沈黙を守ることが多かった。 出会って数日、よく知らないそれも自分より十以上離れた子供にどう接すればいいのか、リーンには検討もつかなかったのだ。
 屋根を叩く雨音がひどく耳障りだった。

「空読士が言うには、今日は流星が見られる日なんだと」
 夕食の準備をすすめる最中、唐突に、養い親はフライパンを操りながらそう言った。
 唐突な言葉にリーンが瞬きを繰り返していると、男は笑った。
「なーに、呆けてるんだ。雨はもう一時間位で止むと言ってた。だから見に行かないか?」
「あんたが星とかに興味あるとは思わなかった」
 皿を並べながらロマンだとかの欠片すらないあんたが、と強調して言ってやれば男はくつくつと喉を鳴らす。
「仮にも魔術師の端くれだ、研究対象としてはありえるだろう?」
 男は薄氷色の片目を細めて、それからフライパンの中身を皿に移す。
 顎で少女の部屋を示しとっとと呼んでこいと指示した男は、リーンに背を向けるとフライパンを流し台へと運ぶために、背を向ける。
「流星、ね……」
 外は確かに雨脚は弱まり始めていた。リーンはポツリと呟いて仕方なく少女を呼びに行ったのだった。

 居心地の悪い沈黙が支配した夕食を終え、後片付けを済ませると養い親は行くかと家の外へと出た。 昨日の夜からずっと続いていた雨はようやく降り止み、分厚い雲の切れ間からは星が覗いて見える。
「やっぱりこっちじゃ無理か……すこしだけ遠いから、転移する」
 空を見上げていた男は、リーンの両腕を伸ばしてもまだ足りない長さの杖をの、銀と金の飾り紐をくるくると弄り倒しながら言った。
「どこまで行く気なんだ?」
「ちょっと山の向こうまで」
 さらりと言い切り男はエルの手を取る。あとはお前だけだと言わんばかりの視線を向けられ、息を吐き出し傍に近寄った。
 転移魔法はそも誰でも扱える魔術ではなかった。リーンのような人ではない種族でも比較的高等な術であり、 純粋な人間は高度な魔術知識と相応の実力がなければ使えない。魔術でもって強引に空間をつなげるその術は、 現在地と目的地が遠ければ遠いほど、同時に転移する人数が増えるほど術者に負担をかける。
 それをさらりとひとりでこなすのだから、養い親はある種の人外だなとリーンは思う。
「ちょっと頭痛くなるから目を閉じとけ」
 注意にもならないことを言い右腕でリーンとエルを再度引きよせた男はふたりを抱くと杖先でトンと床を叩く。 次いで、リーンの聞き取れない言語で詠唱を始め、りんと鈴がなるような音がして視界が白く染まる。
「もう目を開けて良い」
 一瞬の浮遊感と軽い頭痛を覚え、直後淡々とした声に目を開ける。同時にさぁと吹き渡る風がリーンの黒髪を攫った。
 あたりは暗く、そういえば新月だったかとふと思い出す。風には雨上がりの、土とそれから草の匂いが混じっていた。

「……っ」
 それは誰の反応だったか。
 促され頭上を見やれば満天の星。リーンですらみたことない、星空だった。
 黒い布に散りばめた宝石のようなとは良く言ったもので、月のない夜空に零れ落ちそうなほどの星々は煌めいて見える。
「あまり遠くに行くなよ!」
 傍らの叫びにはっと視線を戻せば、幼い少女は養い親の声を背中に受けて、駆け足で丘を登り切る。
 人間の養い親よりも、半分だけ吸血種族の血をひくリーンの方が夜目も効く。 慌てて後を追ったリーンは、どこかもどかしそうに彼を見遣る少女の姿がはっきりと目に映っていた。 ゆるゆると頭を振る少女の金髪を撫でて、視線を合わすようにしゃがんでやった。
 一瞬だけ肩を震わせた少女は、目の前のリーンに緑の双眸を向け、それから恐る恐る手を伸ばし、リーンの服をひっぱった。
 何が言いたいのかとリーンは少しだけ悩み、それからひとつ頷くと細い腕を伸ばし彼女を抱き上げた。 見た目のままに細い少女は、リーンにとってはほとんど重さを感じなかった。
「星、きれいだよな」
 にっと、尖った歯が見えるのも気にせずに笑いかけてみると、少女もにこりと笑って「きれいだね」と音のない言葉を口にする。

「知ってるか?」
 ようやく二人に追いついた養い親は、抱き上げられた少女と抱き上げた少年とを見て笑うと、杖を持たない手を空にのばした。
「この地で死んだ者は星になるんだそうだ」
 とつとつと語られるのは古い伝承だった。
 この地で命を落とした者は死後星になり空に輝く。そうして天上から生者を見守るのだという。
「流星は彼らが流した生者を想う涙なんだそうだ」
 少しだけ悲しそうな笑みを浮かべると、リーンとエルの頭をそれぞれくしゃりと撫でる。
「なんの慰めにもなりやしないだろうが、少なくともお前たちの両親は空からお前たちのことを見守ってくれてるさ」
 だから強く生きるんだと、そう言って男はもう一度二人の頭を先程よりも強く撫でたのだった。


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掲載日:2011/01/23
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