... 望むものは・5 ...
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 灯りの落とされた廊下を音を立てぬよう静かに歩いた。 相棒の黒猫は薄闇の中赤い双眼を爛々と輝かせ、どこか気遣うようにアイルの数歩先を行く。 そして隙間からうっすらと灯りの漏れる扉の前までくるとぴたりとその歩みを止め、ユールはゆっくりとした動作でアイルを振り返った。
「……大丈夫だ」
 小さく声にしてにっと笑ってみせて、
「入ります」
 短く息を吐き出すと、二度扉に手の甲をうちつけると応えのある前に押しあけた――その瞬間ユールの細い体がすり抜けていく。
 室内にいるのは二人の男女。椅子に座りアイルを見据える男と、その隣に少し俯いて立つエマ。 髪と同じ漆黒の僧衣を着た男は明るい緑の瞳を和ませると、久しぶりだなと懐かしそうに言う。 それに微笑みながら左手をあげて応えると後ろ手に扉を閉め鍵をかけた。
 ユールはその間にさっとソファに飛び乗り、落ち着く場所を探しているのか何やらごそごそして丸くなった。 まるで自分の部屋でくつろぐようなその姿に苦笑して、アイルは彼の隣に腰を下ろすと喉元をなでてやる。 猫は赤い瞳を気持ちよさそうに細めると、のどをごろごろとならしていた。
 どこかでリーンと鈴の鳴る音がして、男とエマがそろって眉をしかめた。
「久しぶり、ラザイル」
 それを満足そうにみやると、懐から真っ白な封筒を取り出し差した。
 男――ティアの教会の責任者ラザイルは、それを受けとると裏返し差出人を確かめた。 表には教会の意匠とラザイルの名が凝った文字で書かれ、裏には十字の刻まれた赤い封蝋、 差出人名は神都リザービリア中央教会と宛名と同じ書体で書かれている。
「そういえば、医者の件どうなった?」
 ラザイルが無言で立ち上がり執務机で開封する様子を横目に、アイルはエマに問いかける。 少しだけ険しかった表情を和ませると彼女は笑って大丈夫だと口にした。
「さきほどお医者様診ていただきました。現状は問題は無いとそう言っておられましたよ」
「ならいい。よかったな」
 そう言って笑うアイルにエマもこくりとうなづいた。 アイルはソファに体重を預けるようにもたれかかると、足を組み替えラザイルの手紙に視線を向ける。
「それで本題」
「手紙の、内容だな」
 ひと通り目を通したらしい男の言葉にアイルは肯定し、猫の背に手を伸ばす。
「死を招く病……昨日の女の子だね。彼女の患っていた病の治療法が見つかったっていう報告が手紙には書かれている。問題点も色々あるけどね」
 目を閉じ猫の背を撫でながらアイルは言うと、エマとラザイルの顔がそろって歪む。 ラザイルはエマから少女についておおよその話は聞いていたのだろう。 だとすれば、手紙の内容からそのことに気づいていてもおかしくはない、そうアイルは結論付ける。
「治療は実に簡単なことなんだ。俺がやったようにすればいい」
「異能者の力を使う、ということかね?」
「そうなる」
 詳細はわからないだろうから省く。そう言えば、仕方ないというように二人は頷いた。
「根本的な原因がわからないから、所詮延命にすぎないかもしれないけれど……少なくとも発症して何も出来ずに失われることはなくなると俺は信じてる」
「手紙にも書かれている、その問題点とは?」
「治療するにしても加減やコツがわからないから、その点が不安なこと。 その力を使えば使った人間の体力を消耗する点。……一応教会所属の神官でも治療は可能だったけど、まぁ素直にするわけないだろうって点。それから」
 区切って、体を起こし前を見据える。舌で唇を湿らせると、
「そもそも異能者はその正体を隠している。俺らですら、見つけられない場合が多いんだ。 迫害するだけされた今、進んで治療を行うやつはいないだろうってこと。 まぁつまりは、治療方法はわかっても治療できる人間がほとんどいないってことだな」
 早口で言い切った。居心地の悪そうに、ラザイルが咳払いをする。
「……動けるものを総動員したところで、どうにもならんか」
 言いづらそうなその問には首を振る。
「消耗する、っていっただろう? せいぜい一日にニ人診れたらいいもんだ。無茶やらかせば倒れるどころか死ぬぞ」
 それを説明してやれば、そうか、とラザイルは手紙へと視線を落とす。ユールが暇そうに大きくあくびをした。
 それからは、どこか気まずい状況の中、互いの近況などを報告し合ったのだった。
「……アイルはしばらくどうするんですか?」
 最後に、気まずい雰囲気を解消するためか、エマが話しかけてくる。
「とりあえず調べものとか気になることもあるし……しばらくこっちにいさせてもらうと思う。書架にも行きたいしな」
「まぁ、当分ここにいればいい。ただしばれないようにな」
「ん。ありがと」
 なにを、とは言わず忠告する男に、思わず笑ってアイルは本心から感謝を口にしたのだった。

 * * *

「なぁ、ユール。おまえさんにはこの世界どう映ってんのかねぇ」
 星さえ見える空を見上げ相方に問うものの、答えは返らず黒猫は耳だけをぴょこり動かした。
 アイルとユールは、教会の裏庭に置かれた古びた木製のベンチに腰掛けていた。 早寝早起きが基本の教会はすでに寝静まってる時分で、彼ら以外の姿はなくひっそりと静まり返っている。
「おまえはいっつもだんまりだもんなぁ」
 隣で丸くなる猫の頭をなでれば、彼は嫌そうに頭を振る。その様に小さく笑い声をあげた。
 風にさらわれる長さの揃わない髪を押さえつけ、また空を見上げる。綺麗な弧を描いた月だった。
 今もまだ雲はひとかけらも見えない。本当に珍しい天気だと、小さくつぶやいた。
「知ってるか? 今はこんなだけど昔は普通に青空みれたんだぜ?」
 答えを期待せずにアイルは言った。
 いつからだろうか? 空が雲に覆われ始めたのは。
 アイルが子供の時は青空の日が多かった。大地も今ほど荒れてはおらず、少なくとも街の周辺は草で覆われていた。 すべてが変わったのはこの百年だろう。百年ほど前から急速に普及しはじめた機械製品。 たとえば、今はもう動力不足で動かせない車などだ。それらがあることが日常になった頃から、空は消えて大地は荒れはじめたように思えた。
 すべては偶然だろうか。
 溜息混じりに呟いて、空を見上げた。
 星の数も昔と比べて少ない。闇色の暗幕一面に色とりどりの硝子玉をばらまくように、空には星が瞬いていた。 幼い頃はどうして星が落ちないのか不思議だったくらいだ。手を伸ばせば届くのではないかとそう思った夜空が当たり前だった。
 あの時のようにアイルは天に手を伸ばした。広い空に淋しげに浮かぶ数個の星を掴み取るかのように。 弓のように細い月に触れようとするかのように。
「何してるの?」
 そんなときだ、聞きなれた少女の声が裏庭に響いたのは。
「別に何でもないよ」
 誰もいないと思っていたアイルは、動揺に藍色の瞳を揺らして言った。隣の猫はぱたりとしっぽを、面白がるように揺らした。
「……ならいいわ。隣座るよ」
 アリスは断ってベンチの端子に腰を下ろす。ちょうど間に挟まれた形のユールが、少しだけ迷惑そうに鼻を鳴らした。
「ごめんね、えっとー、ユール」
 少女の謝罪に気を良くしたらしく、ユールはぱたんとしっぽを動かしてまた丸くなった。
 そのまましばらく沈黙が続く。虫の鳴き声と共に吹き抜けた風は、二人の間を通り抜け頬を撫で去って行く。
 手慰みに指先で猫の喉をかいてやればぐるぐると猫は鳴いた。
「ねぇ」
 先に話しかけたのは、やはりアリスだった。
「ねぇ、異能者だって蔑まれるのに、どうしてあんたは教会にいるの?」
「教会にいる理由?」
 ぱちぱちと瞬くアイルに、アリスは首を振る。
「だってそうだとわかれば殺されてしまうわ。司祭位を持つ理由もわからない」
 小さな小さなその問いかけに、ああと納得して大丈夫だと口にする。彼女なりの心配なのだろう、不安そうな目に少しだけ心が痛んだ。
「なんていうのかなぁ、契約っていえばいいのかな?」
「契約?」
「そ。とある人に従う、そのかわりにそいつが生きて権力を握るその間だけ異能者狩りを行わないってことを」
 言って、最後とそこから三回前までの異能者狩りの年代を提示してみると、聡明な少女ははっと顔色を変える。気がついたのだろう。
 悪神の使いを滅ぼすという名目で、過去異能者狩りは頻繁に行われていた。半年と経たずに行われた年さえあるのだ。
「五十年近く行われていないのは……」
 様々な要件が重なり五年行われなかった時代もあったが、五十年という空白期が存在したことは過去に一度もなかったのだった。
 アリスの答えに、アイルは肯定した。
「……相手には利点があるの?」
「簡単だよ」
 面白がるようにアイルは口にした。
「俺は従うかわりに、歪んでいない情報を与える。アレが一番ほしいのは、情報だ」
「……」
「あいつの周囲は信じられる奴がいないんだとさ。少なくとも俺とあいつは利害が一致してる。 俺は異能者狩りを少しでも止めたいし、あいつは真実を知りたい。司祭位は見せかけのためだよ、多少はばれやしないだろう異能のことなんか」
 まさか司祭が異能者だなんて誰も思わないだろうと、アイルはくつくつと喉を鳴らして笑った。 「司祭位はそれじゃあ、コネだったってこと?」
「いやまぁ試験資格はコネだったけど他は実力だぞ?」
 真顔で指摘する少女に苦笑する。

 太陽神を信奉するリザービリア教会は教皇を頂点とし、その下に教皇を補佐し支える枢機卿を設置、その下に各地の教会を束ねる大司教があり、 彼らは皆その籍を神都セラの本拠を置く。そして各地の司教区を取りまとめる司教、彼らを補佐する司祭、助祭と続く。 それぞれの位は数年の奉仕実績と勤務態度による評定のほか上位の者による推薦によって試験資格を得ることができた。 そして当然ながら試験に合格せねば位を授かることはできない。
 アリスが言いたいのはつまり、異能者であるアイルが試験資格を得たこと自体がおかしいということだった。
「一応礼儀作法から歴史、聖句の暗唱まで全部叩きこまれたし、これでも成績はよかったんだ」
 それから手首に巻かれた銀十字を外し、眼前にぶら下げる。
 太陽神が用いた剣を象徴し、その姿を意味する赤い石。十字の交差点に埋めこまれたそれが意味するのは、司祭位だった。 銀十字には細かな傷が走っていて、それなりに使い込まれたらしいことが伺えた。
「その十字は重い?」
「重くないといえば嘘になる。けど、なくてはいけない大事なものだ」
 細く頼りない銀鎖の先で、ゆらりとゆれる十字を掌に落とし握り締めると、さぁとアイルは言て緩慢に立ち上がる。
「そろそろ部屋に戻った方がいい。子供はもう寝る時間だ。あまり遅くなると……悪神の使いがやってくるぞ」
 にやりと夜更かしする子どもに対する脅し文句を口にして、立ち上がりざまゆったりと背中に流されるアリスの金髪をなで回す。
「それじゃあおやすみ、アリス。良い夢を」
 ユール頼む、とアイルはそう言って男子寮のある方向へ足を向けた。
「私もう子供じゃないんだけどなぁ」
 そうぼやいて撫でられた頭に手を伸ばす。慣れない手つきを思い出すと、アリスはくすりと笑みをこぼした。


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掲載日:2011/09/08 初出:2004/08/18
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