... 砂漠の王国 ...
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 外套を纏った青年はただひたすら歩き続けた。
 吹きつける風が身に凍みる。夜の砂漠がこんなにも寒いものだなんて、知らなかったのだ。
 己の無知を悔やみながら歩き続けるうち、ふと、青年は顔を上げた。
 どこからか歌声が聞こえてきたからだった。
 どこかで誰が歌っているのだろうか……。
 青年はあたりを見回し瞠目した。
 ほんの数十メートル離れた先で少女が一人、月明かりの下で歌っていたのだ。
 明かりに引き寄せられる虫のように、青年は少女のもとに歩んで行った。

 少女の肌は見たことがないくらい白く、金の髪はさらさらと夜風に流れている。
 寒さを感じないのか彼女が纏う服はおよそ砂漠には似合わないもので白色の薄布の服からは細い四肢が伸びていた。
 少女の足首に結ばれているらしく、彼女が舞うたびに鈴の音が夜の砂漠へと響く。
 青年は暫くその光景に見入っていた。
 少女がターンすると裾がふわりと広がる。鈴は澄んだ音を響かせ、銀の髪はさらさらと彼女の肩を滑り落ちた。
 やがて少女が踊り終えた時、青年は無意識に手を叩いていた。
 青年に背を向けるように立っていた少女は振り返り、驚いたように目を瞠る。

「君は……?」
 思わず、青年は一歩踏み込んで訊いていた。
 少女の金色の瞳が困惑に揺れる。
 何かを言おうとしたように口を開こうとして、少女は首を振った。
 ―― Hu as ratia kisdam memry?
 胸元に手を当て、少女は何処か懐かしい響きの言葉を口にして寂しそうに微笑んだ。

「ヒュアース、ラティア、キスダム、メムリ……か」
 ポツリと呟き男は本を閉じた。ふわりと埃が舞ったのは見なかったことにする。
 深い蒼の瞳を日が落ちた天幕の外に向け、彼はため息をついた。
 昨日の調査はなかなか進まなかった。手がかりは見つかっているのに、だ。
 男――クラドがこの地にやって来て三年が経つ。目的は砂漠に埋もれた王国探し。 手がかりは各地に残る一夜にして滅んだ砂漠の王国の伝承と、とある人物が見た幻のみ。 それから実際に見つかった遺跡一部だけだった。
 調査を始めた当初、多くの研究者達はクラドたちを笑った。
ただの御伽噺にどうしてそんな熱意を持てるのだと。この我々の国とて、現在の技術を持って何とか存続している有様。 何千年も砂漠だけが広がるこの地に、そんな国が存在したわけがないのだと、馬鹿にして笑った。
 確かにその国は在ったはずなのにそれが証明できる物がなく、彼らを支援するものは誰もいなかった。
 その態度が変わったのは、クラドたちが伝承と幻を追ううちにかつての王国の一部を見つけた時だった。 熱砂に埋もれた石造りの塔らしきものの残骸。その事を報告した途端、国を挙げて調査を支援することになった。
 それが二年前のことだ。
 クラドはもう一度ため息を吐いた。
 今週中に何も進展しなかった場合、調査は打ち切られることになっている。 国の財政難で、これ以上調査を支援できなくなったからだ。もしも調査を続ける場合、クラドが個人でしなくてはならなくなるだろう。 クラド一人では、それは無理なことだった。

「クラド、ちょっと来てくれ!」
 天幕の外から声が聞こえたのは、そんなときだった。
 名前を呼ばれ、クラドは気だるそうに立ち上がる。
 日よけのフードを被りなおし、天幕の外に出た。
「何かあったのか?」
 手招きする仲間達の元に駆け寄り尋ねた。仲間の一人は、足元をカンテラの灯りで照らし無言で見るように促す。
 怪訝そうに形のよい眉をしかめ、クラドはその場に跪き驚きの声を上げた。
 砂に半ばまで埋まった石版が見えた。砂で汚れた石版の表面には、古い文字と美しいレリーフが施されていた。
「何て書いてあった?」
「王国の歴史の一部と、この絵の説明が書かれていました」
 レリーフは、かつてこの地を守っていた女神だそうですよ。
 クラドの問いに、男は何処か愛しそうに石版の表面を撫でながら言った。
「クラドさんも知ってますよね? 月夜の砂漠で踊る少女の伝説を」
「もちろん」
 クラドは笑って答えた。
 おれは見たのだから。その少女のことを……。
「月夜の晩。この地で少女は、旅人にこう訊くんだ。『Hu as ratia kisdam memry?』ってな」

 ――貴方は、この国のことを覚えていますか?

 砂漠に消えた国の女神は、彷徨う旅人にそう尋ねる。


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掲載日:2010/10/11 初出:2004/10/18
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