... 失われた物語 ...
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「内海の中心に、忘れ去られた歴史や記録、物語が保管された図書館がある」

 それを聞いたのはまだ幼い頃だった。
 寝物語として、様々なお話を聞かせてくれた。
 学校の先生ですら知らない物語をどこで知ったか問うた日のことだった。
 内海の中心――それはそのまま世界の中心を意味する。その場所は地図上ですら周囲に島らしきものはなく、 絶海の孤島という言葉以外にその場所をあわらすことはできない。 そんな場所に存在する島。聖域とも呼ばれるその場所に図書館はあるという。
 存在を教えてくれた人は言った。
「それは隠蔽された記録。俺にはわからんが、そうされるだけの理由があったんだろう。 だから知らなくても不都合はない、知らずとも生きていける」
 そう言ってニヤリと笑った。それは自信に満ちた笑みで、漆黒の瞳がまるで宝物でも見つけた子供のように煌く。
「だけど真実を知らないまま生きるなんて根っからの冒険者の俺には似合わなかった。 いつかお前が望むならそこへ行ってみろ。失われた物語たちがお前を待ってる」
 自由を愛し自由のために生きる冒険者。そうであることに誇りを持った男は、笑ってそう言ったのだった。

 例えば、ほんの二百年前まで世界が四つに分割されていたこと。
 そして、四つに分かたれていた世界がひとつになった理由。
 それひとつとして真相を知るものはいない。
 物語としては語られているのだ。
 争い続ける人々に神は嘆き怒り裁きを下したのだと。
 けれどその記録はお伽話としてしか存在しない。 他の大陸は滅んでしまったのだと思い込んだ当時の世の中は混乱していたというから、 歴史書といった記録が焼けた可能性もある。なにより一千年に及ぶ分断期間だ。気が遠くなるような時の中で、 人々の記憶から真相が忘れ去られていったのだろう。

 カツン、カツンと足音が響く。
 いつ建てられたかさえ不明のその建物の壁は白い石造り。床は鏡のように磨かれた大理石でできていた。 重い天井を支えるアーチ状の柱ひとつひとつに彫られた精密な紋様装飾は、どこをみても同じ物一つなく。 見上げた天井には世界各地に散らばる<神話>が緻密にそして鮮やかな色彩で描かれる。 廊下を照らすのは永遠の光を放つ魔法結晶と光を増幅させるための加工された水晶。 水晶を基点に床と壁、天井を走る不思議な紋様を描く青い光は劣化防止の魔法だった。 そこらの王城なんて太刀打ちできないほどに、腕の良い職人と高い技術が集められたのだろう。
 カツン、カツンと足音が冷たく響いた。

 島へ来る手段は転移魔法だった。
 教えてもらった座標と鍵言葉を元に、空間を繋げてやって来たのだ。
 りんという鈴の音が鳴り止み目を開ければ、がらんとした広間の中心にいた。 その場所の中心らしく、円形の広間を見回せば左手の方角へのみ果ての見えない廊下が伸びていた。
 床に走る複雑な紋様は転移魔法の座標と鍵となる言葉が刻まれた魔法円で、 その両方が一致しなければこの場所に足を踏み入れることができない仕組みらしい。 手にした杖先で白い軌跡をなぞれば、微量の魔力に反応するのかゆらりと光が揺れるのが少し面白い。
 魔法円から延びるように蔦状の紋様が壁を走りまた魔法円を刻み、そこから更に天井へ伸びまた次の魔法円を結ぶ。
 魔法円とそこから伸びる蔦は、力ある言葉と紋様で構成されていて、その大半が「守護」「停滞」「永遠」といった意味を持っていた。 ほとんど目にすることのない、複雑かつ美しい構成に僕は吐息を漏らす。 これを創り上げた魔法使いは、よほどの腕の持ち主なのだろうと思う。 一分の隙も揺らぎもなく、永久機関のように作用する魔法円を創り上げることのできる魔法使いはほとんどいないのだから。
「ようこそ」
 聞きなれた言葉が響いたのは、そんな時だった。
 振り向けば、今や魔術師組合の人間ですら着ないような上下ひとつなぎのローブを纏う女性がいた。 髪は流れるような金糸、瞳も太陽を思わせる金石で、ゆったりとした足取りで僕に歩み寄る。
「ようこそ、魔導師殿」
 ほんの数歩先で女性は立ち止まり、改めて口にする。そこで僕は気がついた。彼女が人間ではなく人形であることを。 首それから口元。繋ぎ目など在るはずのない場所に刻まれたその溝と、どこか不自然な動き。 瞬きをせぬ作り物の金瞳は僕が手にする杖に向けられる。身長よりも幾分か長い杖先には淡い青の光を放つ小指の長さほどの宝石が輝き、 持ち手に銀と青の飾り布が巻かれる。魔導師と呼んだ彼女は、
「ここは古き物語の眠る地――どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ。書庫はあちら、廊下の先となります」
 感情のこもらない淡々とした口調でそう言ってローブの裾を少し持ち上げると片足を引き深々と頭を下げる。
「わかった……ありがとう」
 深々と頭を下げるその人形にそれだけを答えた。
 そうして廊下を歩いていた。
 人がそうそう立ち入ると思えない場所にも関わらず、塵ひとつなく。歩く僕の息遣い、衣擦れの音、杖が床に触れる音、足音。 それらが大きく反響する。先の見えぬ廊下をようやっと抜け、木製の大扉の前に立つ。
 振り返れば入り口は遥か遠く、小さく見える光がそうだろう。ずいぶんと長い廊下だった。
 鉄枠にはまった扉に触れれば、
「認証します」
 短く感情のない声が何処からか降り、扉に壁と同様青い紋様が一瞬走り、すっと自ら開いたのだった。

 古い本独特の匂いで満ちていた。
 紙かインクか、どちらかわからないけれどどこかほっとするあの匂い。 書庫と呼ばれた部屋は見渡してもそれらしき灯りは無いはずなのに、文字を読むにも困らぬ程度の淡い青の光に満ちていた。 書庫は円形でいて向こう側が遠くに見える。床の部分には座って読むためかいくつものテーブルとイスが用意されていて、 規則正しく書架が並ぶ。壁にも書架が埋めこまれてるのかぎっしりと背表紙が見え、それが天井まで続いた。
「うわぁ……」
 思わず感嘆の声が漏れ出したが、それは本に吸収されたのか思ったよりも響かなかった。
 天井は高い、三階建ての魔術師組合の建物の倍ほどあって、見上げる首が痛かった。 見え上げてはじめて、青みがかった壁が発光してるのだと気づく。天井はアーチ状になっていていくつもの円を重ねた装飾が書架にまでかかる。 いつの時代からの書物が収められているのか、何冊の本が存在するのか検討もつかなかった。
「ほんとに読めない……昔の本なのかな」
 近寄った書架、そうっと取り出した本に書かれた文字は判読できぬ古い物だった。
 本をひとまず戻し、テーブルの上に外套や荷物をまとめて置く。杖は悩んだがまとめてそこに置いていくことにする。 杖の補助無しでは魔法も使えない人もいるが、頼らずともなんとでもなる程度の腕はある。 そもそも人のいないこの場所で、必要になるか疑問だった。

 知りたかった、というほどの思い入れのあるものはなかった。
 ただ、隠蔽された或いは失われた記録を一目みたかっただけだった。
 食料と水は三日分は持ってきていた。中で飲食は書庫の汚損を考えると気が引けたが、外へでて摂るのは問題ないだろう。 足りなければ取りに戻れば良い。楽観視して捜索に乗り出した。
 誰がそうしたのか、書架はおおよその年代ごとに纏められているらしい。書物一覧のようなものもあるにはあったが、 古い文体らしく意味がほとんど読み取れない。今主流の二つの言語以外の存在に心が踊った。
 丸一日かけて、背表紙の読み取れる書架を探しだした。書庫は下にあるものほど古く、 上に行くほど現代に近づくらしく、年代ごとに固まったその中でも医術、魔術、科学、詩や物語、地図や歴史書といった具合に並んでいた。 書架に刻まれた番号をメモしながら、当たりをつけてその日は終わった。図書館の外へ出て簡単に食事を済ます。
 絶海の孤島、或いは聖域と呼ばれる島には生きているものといえば草花だけなのだろうか。人間はもちろん動物の痕跡すら感じられない、 寂しい場所だった。見晴らしの良い丘の上に図書館はあり、見晴らしだけは素晴らしかった。視界いっぱいに緑と海の青が広がり、彼方で空と交わる。
 図書館自体が相当の大きさを誇るようで、書庫以外の場所があるのだろうという見当もついた。
 その日は、書庫の外で外套に包まって眠った。

 次の日は、目をつけた書架を重点的にあたった。
 今現在主流の言語は二つ有り、レクナー、ククロルといった大陸で主流なのがウィスタリエ語とよばれる言葉。 もう一方がストラル、フィアセラといった大陸で使われるリスタリエという言葉だ。
 ウィスタリエは、書くことを目的とした言語であり、世界を創造した六柱の神が残した文字を祖とする。 神殿の勢力の強い地域で多く見られ、聖書もその文字で書かれている。僕の母語でもあった。 一方のリスタリエは読むことを目的とした言語だ。こちらも世界を創造した六柱の神が口にした言葉だという。 魔術は発音が重視される部分が多く、正確に発音と意味を読み取れるようにした言語だ。
 書架にはそれらが入り乱れ並んでいた。やはり母語の方が圧倒的に読みやすく、 少し時代を下ればウィスタリエで記された本しか見当たらなくなる。文法も変わっているのか、意味が読み取れないものも多々あったのだが。 両者の割合がほぼ同一になるのは分断直前であり、分断されたあとらしき書架は一気に本の冊数が減る。 焼かれる途中で救出されたのか焦げ跡の残る本まで存在する。
 その本を見つけたのは、夕刻に差し掛かる手前だった。
 黒革の表紙に金の文字で記されたのは、
「うぃ、なーいあ? わたし、の……?」
 <Winaia>と短く記されたのは、知らない単語の本だった。書架から引きぬき、著者名を探すが記されていない。
 まるで昨日出来上がったかのようにまっさらな本をめくれば、細かな文字がびっしりと並ぶ。 形式からしてリスタリエ、つまりはストラルもしくはフィアセラで記された本だった。
「それは、語る、ないはなし。とおい、記録……」
 ――それは語られない物語、遠い記録。
 上手く訳せばそんな感じだろうか。書き出しは丸みを帯びた小さな文字から始まった本。
 今ですら活版印刷の本があるのに、この本は手書きされていた。この本が並ぶ書架にも、 そういったものがあるにも関わらず、だ。原本か写本かはわからないけれど、先のページを見れば幾人もの手がかかったようで。 薄目にして見える幾重にも重ねてかけられた劣化防止の魔法構成。そこにさえ、幾人もの術者による手が加えられている痕跡が見受けられた。
 誰かが守りたかったらしいその本に興味を覚えた僕は……気がつけばその場に腰をおろし、手すりにもたれるようにしてその本をめくりはじめていた。

 当時の世界は遥か高度な技術を持っていた。
 魔術も科学もどちらも手が届かぬほど発展し、何一つ不自由なく。
 けれどその発展の影で資源を食いつぶしていく。例えば燃料、例えば鉱石。
 きっかけは国境での小競り合いだった。資源不足に悩まされていた世界は、それを起点に争いを拡大させた。 ただひとつ、相手の持つ富を奪うために。海を超えてなお広がる争いは、多くの不幸をばらまいた。
「負けたくにが、は、合わさ……併合されて、たくさんの故郷がきえていった。大きくなった国は、海を超え、その牙をのばす」
 その原点は自国を守りたい、それだけだった。国民を守りたい、それだけのために。
 泥沼の争いだった。飛行船より早く空を駆けるそれは火薬と毒を撒き散らし、魔術は冷酷に全てを焼き屠る。
 そしてその様子を見ていた神は嘆き、ひとつの命令を下した。
「争いの、根、根源を絶て。争う世界は、要らない。神はそれを命じ、姿を消した」
 それ以降、姿を消した神が現れることはなく。
 命じられた下僕たちは忠実に従い、人々から根源である知識を奪った。
 交流を絶ち、狭い狭い箱庭に押し込めた。そして監視を始めたのだ。
 魔術を扱う者には精霊を、神を崇める者には竜を、人を戴く者には魔を、自然を恐れた者には天使を、それぞれ。
「そして、世界は小さな箱、庭でそれぞれの時間を、過ごした」
 そこで文は一度終わっていた。
 白紙が一枚あってそのあと、また別の物語が続く。
 ああ、と思わず声が漏れる。それは思った以上に、その書庫に響いた。
「分断前の記録か、これは」
 遥か昔の出来事、伝わらなかった時代の出来事が記されていた。 でなければ説明がつかないのだ、幾重にも重ねられた守護の魔法の意味が。劣化防止だとしても、 魔法ひとつで十分だ。現に他の本には一度の魔法しかかけられていない。腕の良い魔法使いのかけた魔法は、百を超えるだけの効力を持つはずなのだ。
 二重三重に重ねることはあっても、はじまりが見えぬほどにかけられたのはこの本だけだ。
 大切に守られたその本には知らない記録がたくさんあった。隠され、或いは忘れられた時代を生きた、人々の物語が。

 一度帰還して、それから辞書と筆記用具、資料と食料を大量に持ち込んで、その図書館に籠城した。
 その生活は、黒い表紙の本を読みきるまでの二月の間、ずっと続いたのだ。
 ただ知りたかったのだ。
 どうしてその物語が失われたのか、その理由までもを。


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掲載日:2011/06/27 修正日:2012/01/02
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