異能者と呼ばれる者たちがいた。
彼らは知能を持たずただ己の欲望のままに行動する魔物と呼ばれる生き物の次に嫌われていた。
彼らはその存在が発覚次第捉えられ処刑される。それはまだ運が良かった。最悪生きたまま、技術の発展という名目の犠牲となった。
異能者と呼ばれる彼らが人として扱われることはほとんど無かった。
理由は単純だった。彼らは<異能>と呼ばれる不思議な力を持っていた。
例えば何も無いところに火を呼び、かまいたちを起こすことができる。水を凍らせ、大地に緑を芽吹かせる。
世界創造を行った善神五柱と悪神一柱以外が扱えるはずのない奇跡の或いは穢れた力を彼らは持っていたのだ。
遠い昔世界の創造を終えた後、悪たる火の神は全てを手中に収めようと善たる五柱の神を討ち滅ぼそうとした。
そのために自らに賛同した一部の人間たちにその力の一端を与えたという。
与えた力こそが<異能>であり、それを操る<異能者>は創造神五柱即ち
創造神アテス、太陽神リザーブ、月神ティア、海神ディエズ、地神ガイアに仇なす者とされる。
特に創造神信仰の中で最大勢力である金髪金眼の太陽神リザーブを信仰する者からは、こと更に酷い扱いを受けることが多かった。
太陽神は苦難の道を乗り越えた者に豊かな実りと永久の平和を約束する。そして神とその従順たる信仰者たちに仇なす者を許さなかった。
神に仕えればその生を終えた時、神の住む国に迎え入れられるという。
もっとも、信仰している者たちと同じくらい無神論者は多い。それは司祭位を持つアイルもだった。
「どうしてそう思ったんだ?」
神より与えられた力は、一見してその違いは分かりづらいはずだった。
「詠唱……教会にいらっしゃる神父様方はいつもお祈りを口にしていた。でも貴方はしなかった。十字すら使わずに」
その視線が向けられるのは手首に巻かれた銀十字。太陽神が手にする剣を模して作られたという、信仰の証だった。聖職者たちはことあるごとに十字を使う。
それは、願いであったり祈りを込めたり、或いは破邪の力を呼び覚ますために。
だから、
「そうだよ、君の言うとおり俺は異端者だ。だけどそれがどうかしたの?」
アリスの問いも予想していたアイルは笑みを浮かべて続けた。
手首からはずした十字架の鎖を指にかけくるりくるりと回す、その十字に祈りを捧ぐ聖職者にあるまじき行為。
「俺が異能者だから何かあったの。お前にこの力を向けた? それとも何、司祭位持ってるのが気に食わない?
だけどそれをどうこう言われる筋合いはない」
吐き捨てる。視界の隅を白く小さな何かがちらちらと舞い、それがさらにイライラとさせる。
心配そうにユールが深紅の瞳を向けてくるがそれすらも、鬱陶しかった。
誰もがひっそりと生きることを願った。それなのに、<狩り>に来た者たちは酷く汚らわしいものをみるような視線を向けてきたのだ。
ただ穏やかな日々を過ごしたかったのだ。誰もその力を望んですらいないのに。
胸に浮かぶどす黒いそれを自覚し、アイルは舌打ちする。
「疲れたから今日は戻る。ほんとに何かあったら呼んでよ」
早口にエマに告げると、宛てがわれた自室に向う。
「アイル……」
去っていく青年の背中に、エマは感謝の言葉を投げかけた。
「気にしないで」
手をヒラヒラ振って、アイルは部屋に向って歩き出す。
アリスが睨んでいるのが気配でわかったが、そのまま無視をした。
――限界だった。
「……てェ」
胸を押さえてアイルは呻いた。教会の石造りの壁に背を預け、左手をきつく握りしめた。
腕から飛び降りたユールは心配気に鳴き、うずくまるアイルに擦り寄る。
部屋にはまだまだ距離がある。治療室からほんの数メートル移動しただけなのに息は上がっていた。
めまいにも似た感覚と相変わらずやまない視界の隅で踊る白い何か。あの、体中を何かが這い回るようなおぞましさと。
そして、叫びそうになる胸の痛み。それらから逃れる術をアイルは知らず、ただひたすら、じっと痛みに耐え時が過ぎるのを待つだけ。
意識が飛びそうになるほどの激痛に襲われた。浅く速い呼吸を、何とか整えるよう努力してみる。
「なさけ、ないっての」
息も切れ切れにアイルは毒づく。
この姿を、誰にも見られなくてよかったと思う。
一番怖いのは、彼を知るものに見られること。弱みを握られるのは絶対に避けなければならない。自分ではなく、友の為に。
それに。彼が信頼している人物に見られることも避けなければならない。目撃されれば、自分はきっと弱音を吐いてしまうだろう。
きっと話してしまう。そして……。
アイルは瞳を閉じて苦笑する。
「いつの間に、そんなに弱くなったんだろな?」
自嘲気味に呟いてユールの頭を乱暴に撫でるとふらつきながら立ち上がる。痛みのピークを越えたのか、だいぶマシになっていた。
ここでは誰に見られるかわかったものでは無い。
部屋に戻ろうと歩き出して、よろめいた。力が入らなかった。
こけると思った瞬間、アイルの腕を誰かが掴む。
「大丈夫か?」
耳心地のよい低い声が背後から聞こえた。若い男の声だった。
声の主はアイルの顔を覗き込む。男はアイルより年上の人好きのしそうな青年だった。明るい緑の瞳が心配そうにアイルに向けられている。
「顔色悪いな……誰か呼んでくるから、少し待っ」
「誰も呼ぶな。放っておいてくれれば、それで、いい」
すぐにでも呼びに行きそうな男の腕を逆に掴み、低い声で言った
「それはできないよ。客人、か?」
男の問いに頷くと、彼はどこに泊まってるかを訊く。
「男子寮の、一番奥。角部屋」
「わかった。自分で歩けるか?」
「自信はない」
男は僅かに考えるそぶりを見せ、アイルに肩を貸した。
「肩貸すから。ゆっくり歩こうな。猫ちゃんもほら」
何処か子ども扱いする男の声に抗議すると、彼は笑った。
「だって。あんた子供みたいじゃん」
「ここだよな」
部屋の扉を開け、ベッドに座らせると男は言った。
「そうだよ。ありがとな」
「別に。どうせ、部屋に戻るついでだったしな」
男は僅かに笑った。
「ついで?」
「そ。おれの部屋、この二つ隣だから」
「そうか。……名前訊いてもいいか? アイルっていうけどあんたは?」
「おれはシェード。それじゃ、今日は遅いからもう寝なよ」
明日は倒れるなよ。
シェードは笑いながら言って、部屋を出て言った。
「子ども扱いしやがって」
苦笑混じりに言って、ベッドに倒れこむ。顔の直ぐ前にきた猫は、ざらりとした舌でアイルの鼻先を舐めると、その場でくるりと丸くなる。
「心配してくれてありがとな」
小さな声でそれだけ言うと、静かな部屋天井を見上げながらゆっくりと息を吐き出した。
アイルは眠りが浅い、というよりも眠れない。寝ようと思っても酷い時は十分ごとに目が覚める。
結局彼の睡眠時間は、一日一時間あればその日はよく眠れた、ということになる。当然昼間は睡魔に襲われる。
いつだったか、気がつくとベッドに運ばれていることもあった。途中で意識を失ったのだろう。
眠りに落ちては痛みに目を覚まし、そしてまた微睡む。
幾度もそれを繰り返すはずだったのに、気がつけば差し込む日の光でアイルは目を覚ました。
「寝てた……?」
いつも霞がかった意識はすっきりとしていて、眠気は欠片もなかった。
体の痛みも気だるさすらも吹き飛び、体調はいつもより数段良かった。
特に変わったこともないのにと首をかしげつつ、服を着替えはじめた。荷物の中には司祭が着用する礼服もあったがあえてそれには触れず、
昨日身につけていたのと同じような黒いシャツに袖を通す。よれた襟に舌打ちし整えれば、目を覚ましたのかユールが短く鳴いた。
「おはよ、ユール。今日は珍しいいい天気だ」
カーテンの隙間から挿し込む光はいつも以上に明るく、外が晴れていることを示す。
ユールはそれに短く返事を返し、床に降りると毛づくろいをはじめた。
リストバンドの上から銀鎖の正十字を巻きつけると、
「飯、行ってくる」
ユールに声を掛け部屋を後にした。
居住棟は通路の両側が部屋に当たるため突き当たり以外に窓はなく、そのため常に薄暗い。
そこを抜け共有棟へ出れば、途端視界が明るくなる。食堂へ向かう途中、通り過ぎる窓から空を見ればどこまでも澄んだ青が広がっていた。
雲ひとつないその空で太陽は眩い光を放つ。
教会に住む小さな子はそれが珍しいのかまだ朝食の時間というのに外へ飛び出し、目をきらきらと輝かせ中庭を走り回っていた。
一年の大半が雨か曇り空のこの地で、青空は滅多に見れないものだった。
空を覆う分厚い雲の切れ間からほんの少し見ることができる、その程度が常であり見渡すかぎりの青なんて望めなかった。
喜ぶ子供の姿に、笑みがこぼれたのを自覚して咳払いをひとつこぼした。
きれいな青空が当たり前だと思える、そんな時代にしたかった。
「あ、アイル」
「ん、シェードか」
食器を片付け食堂を後にしようとしたときに声をかけられた。振り向けば昨夜手助けしてくれたあの若者がいた。
昨日はありがとうと礼を告げれば、シェードはお互い様だというように顔の前で手を振る。
「何か用事でもあった?」
「ああ、シスター・エマがあとで執務室に来て欲しいってさ。それだけ伝えようと思って」
「了解。ありがとう」
シェードはそれだけを伝えると慌ただしく食堂を後にする。何らかの役割でも与えられてるのだろう。
その姿を見送ると溜息をひとつだけ零して執務室へ向かう。
アイルのことはいつのまにか伝えられているのか、教会の住人は一礼してすれ違っていく。異能者であることは伏せられているのか、それは聖職者間で行うものに留められている。
そのことにどこかほっとする。
程なくして執務室のプレートがかかった一室の前にたどり着く。中には人がいるのか聞き取れないほど小さな話し声が耳に届く。扉を叩き名乗れば、一瞬話し声が途切れ入室許可がおりる。
「おはようございます、シスター・エマ」
「ごめんなさいね、急に呼び出して」
イスから立ち上がり出迎えたのはエマだった。その隣にはシスター・アリスの姿がある。
顔をしかめれば、彼女は目も合わせず儀礼的な礼だけを返してきた。
「先ほどなのですがラザイル教会長たちから電話があったの。今日の夕刻には戻ってこれるそうよ。
いろいろと複雑そうな声でしたが……」
「だろうなぁ」
アイルは苦笑して言う。再会に半分、死病についてもう半分といったところか。
「そうだ。昨日の子はどうなったかな?」
「あれから様子は落ち着いてますよ、平熱に戻ったようですし、咳も治まったと」
「今はお母様と一緒に治療室に滞在されてます」
「了解。それじゃ念のために様子見てくるわ。話の続きは戻ってからでいいよな?」
アリスの補足にアイルは頷いて応え、執務室を後にする。
「入っていいですか?」
控えめに扉を叩けば少しの間があって扉が開いた。
「あ、昨日の……! 本当にありがとうございました」
扉から顔を覗かせた女性は、慌てて室内にアイルを迎え入れると深く頭を下げた。
「いや、俺ってちゃんとした医者じゃないから。感謝されても……」
「お医者様じゃないんですか?」
「一応、医学の基礎は収めたんですが医者としての資格はないん……です。
もちろん、俺に出来る限りの治療はしたけどやっぱり本当の医者に見てもらったほうが安心です。
それで、本物が来るまでの間、様子を見ておこうかと思いまして」
「いえ。それでも助けていただいたことには変わりないので。司祭様のようなお方に見ていただいたのなら、娘もきっとよくなるはずです」
「すみません本当に。娘さんは?」
心からであろうその言葉に、司祭と呼ばれることに、少しだけ罪悪感を感じて苦笑する。
女性は少女の眠るベッドを示すと今は落ち着いていると付け加える。
そばに寄ってみれば彼女の顔色も随分とよくなり頬にはうっすらと赤みがもどっていた。呼吸もたしかに落ち着いていて、今は失った体力を取り戻すためかぐっすりと眠っているようだった。
そっと少女の額に手を触れさせて、
「主よ、弱き我らに苦難を乗り越える力を」
教会式の祈りを捧げた。アイル自身にもっと力があればすぐにでも眠りからさめていただろう。
手を離し振り返れば女性が心配そうに視線を向けていた。不安そうな瞳に大丈夫だと笑って見せる。
「大丈夫だよ、主もきっと彼女を救ってくれます。どんなことでもいいので、
気になることがあれば遠慮無く呼んでください」
礼をして部屋を出る。離れた場所まで行き、壁に背中を預けアイルは息を吐き出した。
「まだまだだよな、俺も」
自嘲気味に呟いて、アイルは冷たい笑みを浮かべた。
時間的に昼までまだ数刻あるだろう。書架へ向かうか、一度部屋へ戻るか悩み、ひとまずユールを回収しようと考えた時アリスが走ってくるのが見えた。
彼女はアイルの正面に来ると、立ち止まる。
「何」
「買い物に行くからついてきて」
不機嫌さを隠そうともしなかったアイルの低い声に負けず、アリスは当然だというように言った。視線はそらすことなくアイルに向けられている。
「何、その行って当たり前って態度は」
寝たいんだけど。
そう言うと、少女は腰に手を当ててムッとしたように言った。
「昨日、シスター・エマに何でもするって言ったらしいね。だからよ。貴重な男手だから、荷物持ちに」
言質を取られていたことに舌打ちし、アイルは仕方なく承諾する。
この少女は苦手ではあったが、エマにはむしろ恩義がある。それを裏切ることはできなかったのだ。